市原市の海側には、地図に線路が描かれているのに、駅から乗ることのできない鉄道があります。京葉臨海鉄道の臨海本線です。蘇我から袖ケ浦まで23.8km、駅は9か所ありますが、旅客営業はありません。走っているのは貨物列車だけです。設立は1962年、日本で最初の臨海鉄道とされています。開業したのは市原市が誕生したのと同じ1963年。市原の臨海部がどう作られたかが、この路線の年表にそのまま出ています。
京葉臨海鉄道の基本データ
| 会社設立 | 1962年(昭和37年)11月20日 |
|---|---|
| 本社 | 千葉県千葉市中央区新町18-14 |
| 路線 | 臨海本線(蘇我〜北袖ほか) |
| 営業キロ | 23.8km(支線を含む) |
| 主要区間 | 蘇我駅〜北袖駅間 19.9km |
| 旅客営業 | なし(全駅が貨物駅) |
| 資本金 | 19億4,800万円(2021年3月31日現在) |
| 従業員数 | 183人(2020年4月現在) |
| 運行本数 | 1日16往復(2022年時点) |
| 主な輸送品目 | 石油・コンテナ |
2026年8月12日時点で確認できた公表データによる
日本で最初の臨海鉄道
臨海鉄道というのは、港湾や臨海工業地帯と国鉄(現在のJR貨物)の路線をつなぐために作られた鉄道の形態です。全国にいくつかありますが、京葉臨海鉄道はその第一号にあたります。
設立は1962年11月20日。高度経済成長のただ中で、千葉県が京葉工業地帯の造成を進めていた時期です。工場を誘致するには、原料と製品を運ぶ手段が要ります。道路だけでは足りないため、鉄道が引かれました。
県と国鉄が共同で作った会社
株主の構成を見ると、この会社の性格がよく分かります。
| 日本貨物鉄道(JR貨物) | 33.94% |
|---|---|
| 千葉県 | 31.31% |
| コスモ石油 | 3.92% |
| 出光興産 | 3.56% |
| 住友化学 | 2.09% |
2019年3月31日現在の主要株主。2026年8月12日時点で確認できた公表資料による
鉄道会社と千葉県で合わせて65%を超えています。残りを沿線の企業が持つ形です。純粋な民間企業ではなく、県の産業政策として作られた鉄道であることが数字に出ています。
市原市内には7つの駅・地点がある
臨海本線には、市原市内を中心に次の駅と分岐点があります。すべて貨物のための施設です。
| 市原分岐点 | 本線から京葉市原方面が分かれる地点 |
|---|---|
| 京葉市原駅 | 富士電機 千葉工場へ接続 |
| 浜五井駅 | コスモ石油 千葉製油所へ接続 |
| 玉前駅 | 市原市内 |
| 甲子駅 | 市原市内 |
| 前川駅 | 市原市内 |
| 椎津駅 | 市原市内 |
| 北袖分岐点 | 京葉久保田方面が分かれる地点 |
| 北袖駅 | 富士石油 袖ケ浦製油所へ接続 |
「玉前」「甲子」「椎津」といった地名は、市原に住んでいても駅名として意識することはまずありません。時刻表にも乗換案内アプリにも出てこないからです。
なお会社が貨物駅として案内しているのは、千葉貨物駅・浜五井駅・甲子駅・北袖駅・京葉久保田駅です。
開業は1963年、市原市が生まれた年
臨海本線は一度に全通したのではなく、工場の進出に合わせて南へ延びていきました。
| 1963年(昭和38年)9月16日 | 蘇我〜浜五井間(9.5km)/市原分岐点〜京葉市原間(1.6km) |
|---|---|
| 1965年(昭和40年)6月1日 | 浜五井〜椎津間(8.2km) |
| 1968年(昭和43年)10月1日 | 椎津〜北袖間(2.2km) |
| 1973年(昭和48年)3月28日 | 北袖分岐点〜京葉久保田間 |
最初の開業は1963年9月16日です。市原市が誕生したのは同じ年の5月1日。市原町・五井町・姉崎町など旧市原郡5町の合併で市が成立した、その4か月後にこの鉄道が動き始めたことになります。
市の誕生と臨海部の鉄道の開業が同じ年に重なっているのは偶然ではありません。どちらも京葉工業地帯の造成という同じ動きの一部でした。
袖ケ浦駅は北袖駅に改称された
1968年に開業したときの駅名は袖ケ浦駅でしたが、1974年(昭和49年)3月1日に北袖駅へ改称されています。現在のJR内房線の袖ケ浦駅とは別のものです。
臨海鉄道という仕組み
臨海鉄道は、臨海工業地帯の中に線路を引き、国鉄(現在のJR貨物)の路線と接続させるために作られた会社です。京葉臨海鉄道はその第一号にあたります。
なぜ専用の会社を作ったのか
工場ごとに国鉄へ直接つなぐと、線路も設備もばらばらになります。工業地帯の中に1本の幹線を通し、そこから各工場へ枝を伸ばす方が効率的です。その幹線を運営する会社として作られたのが臨海鉄道でした。
建設と運営には資金が要ります。国鉄が単独で背負うのではなく、県と地元企業が出資して負担を分ける形が取られました。京葉臨海鉄道の株主にJR貨物と千葉県が並んでいるのは、この設立経緯が残っているためです。
1962年という時期
1962年は、千葉県が京葉工業地帯の造成を本格化させていた時期です。市原の海側は、もともと遠浅の海と塩田・海苔養殖の場でした。そこを埋め立てて工場を並べる計画が進んでいました。
翌1963年に市原市が誕生し、同じ年に臨海本線が開業します。市の成立と、市の産業基盤の整備が同時に進んだことになります。
路線が南へ延びていった順番
開業の順番を地図と重ねると、工場の進出がどう進んだかが見えます。
| 1963年 | 蘇我〜浜五井(9.5km)。まず五井の海側まで到達 |
|---|---|
| 1965年 | 浜五井〜椎津(8.2km)。姉崎方面へ南下 |
| 1968年 | 椎津〜北袖(2.2km)。袖ケ浦市域へ |
| 1973年 | 北袖分岐点〜京葉久保田。支線が加わる |
北から南へ、5年から10年かけて順に延びています。区間の長さもばらばらで、まとめて計画されたのではなく、工場ができるたびに線路を足していったことが分かります。
1963年から1973年までの10年間は、京葉工業地帯が形になっていった期間そのものです。
塩田と海苔の海が、工場と線路になった
市原の臨海部は、もとから工業地帯だったわけではありません。
五井や姉崎の海は遠浅で、海苔の養殖が行われていました。江戸時代の五井は木更津街道の宿駅として栄え、海苔の産地として知られた土地です。
その海が埋め立てられ、製油所と化学工場が並び、その間を貨物列車が走るようになりました。京葉臨海鉄道の年表は、この転換がいつ、どの順番で起きたかの記録になっています。
いま浜五井や椎津という駅名だけが、埋め立て前の地名を残しています。
何を運んでいるのか
主な輸送品目は石油とコンテナです。臨海本線には、沿線の工場へ直接つながる専用線が接続しています。
| 京葉市原駅 | 富士電機 千葉工場 |
|---|---|
| 浜五井駅 | コスモ石油 千葉製油所 |
| 甲子駅〜前川駅間(起点から12.6km) | 大阪国際石油精製 千葉製油所 |
| 北袖駅 | 富士石油 袖ケ浦製油所 |
製油所の名前が並びます。市原の臨海部にある石油化学の工場群と、全国の貨物ネットワークをつなぐのがこの鉄道の役割です。
1日16往復
2022年時点で、1日16往復が運行されています。旅客路線ではないため時刻は公表されていませんが、平日を中心に動いています。
機関車は10両
| KD55形 | 5両 |
|---|---|
| KD60形 | 4両 |
| DD200形 | 1両 |
いずれもディーゼル機関車です。臨海本線は非電化のため、電気機関車は使われていません。
DD200形はJR貨物が2017年から導入した新しい形式で、京葉臨海鉄道も同型を保有しています。旧型のKD55形と並んで、世代の違う機関車が同じ線路を走っている状態です。
市原の海側にある工場
臨海本線が接続している工場を見ると、市原の臨海部で何が作られているかが分かります。
コスモ石油 千葉製油所(浜五井駅)
原油を精製してガソリン・灯油・軽油などを作る製油所です。浜五井駅から専用線が伸びています。石油製品を鉄道で全国へ送る拠点になっています。
富士石油 袖ケ浦製油所(北袖駅)
臨海本線の南端にあたる北袖駅に接続しています。袖ケ浦市域ですが、市原の臨海部と連続した工業地帯の一部です。
大阪国際石油精製 千葉製油所(甲子駅〜前川駅間)
起点から12.6kmの地点に分岐点があります。駅と駅の間から専用線が分かれている形です。
富士電機 千葉工場(京葉市原駅)
石油関連が並ぶなかで、電機メーカーの工場が入っています。市原分岐点から京葉市原駅へ向かう1.6kmの区間は、1963年の最初の開業と同時に開通しました。
つまり臨海本線は、最初から製油所だけを相手にしていたわけではありません。
鉄道で石油を運ぶということ
石油の輸送はタンクローリーでも行われます。それでも鉄道が使われるのは、一度に運べる量が違うためです。
タンク車を連ねた貨物列車1本で、トラック数十台分に相当する量を運べます。長距離になるほど、鉄道の方が効率が上がります。
京葉臨海鉄道の場合、蘇我でJR貨物の路線につながっているため、そこから全国の貨物ネットワークへ入っていけます。市原の製油所で作られた製品が、線路づたいに内陸や東北へ運ばれる形です。
1日16往復という本数は、旅客路線から見れば少なく感じますが、1本あたりの輸送量を考えると相当な量になります。
市原市は千葉県で最も広い市
市原市の面積は千葉県で最大です。北の臨海部から南の山間部まで、市域が縦に長く伸びています。
| 海側(北部) | 石油化学コンビナート。京葉臨海鉄道が走る |
|---|---|
| 中間 | 五井・八幡宿の市街地。JR内房線と小湊鐵道の起点 |
| 内陸(南部) | 養老渓谷・高滝湖・チバニアンの地層。小湊鐵道が走る |
同じ市のなかで、これだけ景色が違う自治体は多くありません。2本の鉄道は、その両端をそれぞれ担当している形になります。
五井駅に立つと、それが実感できます。改札の一方はJR内房線と小湊鐵道、内陸へ向かう線路です。そこから海側へ2kmほど行くと、浜五井の製油所と、旅客を乗せない線路があります。
なぜ旅客営業がないのか
23.8kmという距離は、旅客路線としても成り立たない長さではありません。小湊鐵道の五井〜上総中野が39.1kmなので、その6割ほどです。
それでも旅客を扱わないのは、この鉄道が最初から工場のために作られたからです。線路は工場の敷地へ入っていき、駅は積み下ろしの場所として設計されています。人が乗り降りするホームも、改札も、券売機もありません。
沿線に住宅地がほとんどないことも理由のひとつです。臨海部は工場と物流施設が占めており、通勤の足としての需要は道路とバスが担っています。
小湊鐵道と並べてみると
| 小湊鐵道/京葉臨海鉄道 | |
| 方向 | 内陸へ/海側へ |
| 距離 | 39.1km/23.8km |
| 開業 | 1925年〜1928年/1963年〜1973年 |
| 旅客 | あり/なし |
| 電化 | 非電化/非電化 |
| 運ぶもの | 人/石油・コンテナ |
同じ市原市内に、性格のまったく違う2本の鉄道があります。片方は大正時代に敷かれ、駅舎が登録有形文化財になり、観光客がトロッコに乗りに来ます。もう片方は高度経済成長期に敷かれ、乗客を一人も乗せないまま60年以上走り続けています。
市原市は面積が千葉県で最も広い市です。内陸には養老渓谷やチバニアンの地層があり、海側には石油化学コンビナートが並びます。その両極端が、2本の鉄道にそのまま表れています。
どこから見えるか
臨海本線は工業地帯を走るため、線路に近づける場所は限られています。
蘇我駅ではJRの列車から京葉臨海鉄道の設備が見えます。市原市内では、幹線道路が線路を越える踏切や陸橋の付近で線路を確認できます。
各駅と専用線は、工場の敷地内または関係者以外が立ち入れない区域にあります。撮影や見学のために敷地へ入ることはできません。線路への立ち入りもできません。
工業地帯は大型車の通行が多く、路上駐車は事故につながります。見る場合は公道の安全な場所から、通行の妨げにならないようにしてください。
よくある質問
Q. 臨海鉄道は全国にどれくらいありますか?
京葉臨海鉄道のあと、各地の臨海工業地帯に同じ形態の会社が作られました。2026年8月12日時点で、全国の正確な社数を公表資料で確認できていないため、本記事では数を断定しません。
Q. 貨物列車を撮影してもいいですか?
公道から、通行の妨げにならない場所であれば撮影自体は可能です。ただし工場の敷地・線路の敷地には入れません。工業地帯は大型車の通行が多いため、路上に停車しての撮影は危険です。
Q. 市原市内のどこを走っていますか?
蘇我(千葉市)から市原市の臨海部を南下し、袖ケ浦市域へ抜けます。市原市内には京葉市原・浜五井・玉前・甲子・前川・椎津の各駅があります。いずれも海側の工業地帯の中です。
Q. 小湊鐵道とつながっていますか?
直接はつながっていません。小湊鐵道は五井駅からJR内房線と接続して内陸へ向かい、京葉臨海鉄道は蘇我駅でJR貨物と接続して海側を走ります。同じ市原市内ですが、別の方向を向いた別の路線です。
Q. 京葉臨海鉄道に乗ることはできますか?
できません。旅客営業をしていないため、駅から列車に乗ることはできません。全駅が貨物駅です。
Q. 過去に旅客を運んでいた時期はありますか?
2026年8月12日時点で確認できた資料の範囲では、旅客営業を行った記録は見当たりません。開業当初から貨物専用です。
Q. 駅を見学することはできますか?
各駅は工場の敷地内または立入制限区域にあります。個人が見学のために立ち入ることはできません。公道から見える範囲にとどめてください。
Q. なぜ「日本最古の臨海鉄道」と言われるのですか?
臨海工業地帯と国鉄をつなぐ第三セクター方式の鉄道として、1962年11月20日に最初に設立されたためです。その後、同じ形態の会社が各地に作られました。
Q. 千葉県が株主なのはなぜですか?
京葉工業地帯の造成という県の産業政策の一環として設立されたためです。2019年3月31日現在で千葉県が31.31%を保有しています。
Q. JR内房線の袖ケ浦駅と北袖駅は同じですか?
別です。北袖駅は1968年に袖ケ浦駅として開業し、1974年3月1日に改称されました。JR内房線の袖ケ浦駅とは別の施設です。
まとめ
京葉臨海鉄道は1962年に設立された、日本で最初の臨海鉄道です。翌1963年9月16日に蘇我〜浜五井間が開業し、その後1973年まで工場の進出に合わせて延伸されました。
営業キロは23.8km。駅は市原市内を中心に9か所ありますが、すべて貨物駅で、旅客営業はありません。石油とコンテナを1日16往復で運んでいます。
市原市が誕生した1963年に開業し、京葉工業地帯の成長とともに延びていった路線です。地図に線が引かれていても乗れない鉄道がある、というのは奇妙に見えますが、この線こそが市原の海側を作ってきた側の記録になっています。
市原の鉄道を時系列で並べると
市原市を走ってきた鉄道を、開業順に並べます。
| 1912年(明治45年)3月28日 | 国鉄木更津線の姉ケ崎駅が開業(現在のJR内房線) |
|---|---|
| 1913年(大正2年)11月26日 | 小湊鐵道が五井町〜湊村の免許を取得 |
| 1925年(大正14年)3月7日 | 小湊鐵道 五井〜里見が開業 |
| 1928年(昭和3年)5月16日 | 小湊鐵道 上総中野まで全線開業 |
| 1936年(昭和11年)10月28日 | 小湊鐵道の小湊延伸免許が取消 |
| 1962年(昭和37年)11月20日 | 京葉臨海鉄道が設立 |
| 1963年(昭和38年)5月1日 | 市原市が誕生(旧市原郡5町の合併) |
| 1963年(昭和38年)9月16日 | 京葉臨海鉄道 蘇我〜浜五井が開業 |
| 1973年(昭和48年)3月28日 | 京葉臨海鉄道 北袖分岐点〜京葉久保田が開業 |
大正期に内陸へ向かう鉄道が敷かれ、昭和30年代に海側の鉄道が敷かれました。あいだに約35年の開きがあります。
その35年で市原の産業は大きく変わりました。前半は農業と海苔養殖、後半は石油化学です。鉄道の敷かれた向きが、そのまま産業の向きを示しています。
この記事について
本記事は、京葉臨海鉄道について公表されている会社概要・路線データ・沿革をもとにまとめました。
運行時刻は旅客路線ではないため公表されていません。専用線の詳しい配線や、各工場の内部については扱っていません。
数値には確認時点を明記しています。株主構成は2019年3月31日現在、資本金は2021年3月31日現在、従業員数は2020年4月現在、運行本数は2022年時点のものです。いずれも最新の数字とは異なる可能性があります。
臨海鉄道の全国の社数など、2026年8月12日時点で確認できなかった事項については、憶測を書かず「確認できていない」と記載しています。
出典
- 京葉臨海鉄道株式会社の会社概要・株主構成・保有車両・従業員数
- 京葉臨海鉄道臨海本線の路線データ・駅一覧・沿革
- 接続専用線の一覧
本記事の年月日・距離・数値は2026年8月12日時点で確認できた記述に基づいています。株主構成は2019年3月31日現在、資本金は2021年3月31日現在、従業員数は2020年4月現在、運行本数は2022年時点の数字です。最新の情報は京葉臨海鉄道の公式情報をご確認ください。



