燈籠坂大師の切通しは鋸山の技法で掘られた|同じ石が海堡の基礎にも

第二海堡

富津市竹岡にある燈籠坂大師(とうろうざかだいし)の切通しトンネルは、切通しとトンネルを合わせて約100メートル、高さは約10メートルあります。

掘られたのは明治から大正と思われる頃。手掘りです。そのあと昭和初期に地元の住民が、鋸山の石切の技法を使って切り下げ工事を行い、いまの形になりました。

そしてその鋸山から切り出された房州石は、富津岬の沖に見える海堡(かいほう)の基礎にも使われています。

目次

約100メートル、高さは約10メートル

項目内容
長さ切通した部分とトンネルの部分を合わせて約100メートル
高さ約10メートル
所在地富津市竹岡(東善寺の飛地境内地)
性格燈籠坂大師堂へと続く参道

高さ約10メートルは、3階建ての建物とほぼ同じです。その壁が両側から迫る中を100メートル歩きます。

富津市は「夏にはさわやかな涼風が吹き抜ける隠れた名所」としています。岩に挟まれた地形なので、外より涼しくなります。

明治から大正に手掘り、昭和初期に切り下げました

鋸山の石切と、竹岡の切通しの年表。切通しは2段階で今の形になりました
鋸山の石切と、竹岡の切通しの年表。切通しは2段階で今の形になりました
時期何があったか
明治〜大正と思われる頃手掘りで切り通しトンネルが掘られた
昭和初期地元住民が、鋸山の石切の技法を用いて切下げ工事を行い、現在の形になった

一度に今の形になったわけではありません。まず手で掘り、そのあと下へ掘り下げて高さを出しています。約10メートルという高さは、この2段階の結果です。

富津市も「明治から大正と思われる頃」と書いており、正確な年代は特定されていません。

使われたのは鋸山の石切の技法です

切り下げに使われたのが鋸山(のこぎりやま)の石切の技法です。鋸山は同じ富津市にあります。

項目内容
標高329メートル
位置北が富津市、南が鋸南町にまたがる
名前の由来のこぎりの刃のような山の形
採石の期間江戸時代から1985年(昭和60年)まで

江戸時代から昭和60年まで石を切り出していた山です。そこで積み上がった技術が、竹岡の切通しに使われました。

鋸山の房州石は、海堡の基礎にも使われました

東京湾に浮かぶ第二海堡。富津市は房州石が「海堡の基礎」に使われたとしています。富
東京湾に浮かぶ第二海堡。富津市は房州石が「海堡の基礎」に使われたとしています。富津岬の展望塔からはこの海堡が見えます。写真: まも/パブリックドメイン

鋸山から切り出された石は房州石(ぼうしゅういし)と呼ばれます。

項目内容
種類凝灰質砂岩
石質標高によって変わり、最上級の「桜目」は山頂付近で採れた
性質加工しやすく、耐火性がある
使われたものかまど・火鉢・灯籠、そして横浜港・台場・海堡の基礎

横浜港、台場、そして海堡。富津市は房州石が「日本の近代化を支えた」としています。

ここで富津の景色がつながります。富津岬の明治百年記念展望塔からは第一海堡・第二海堡が見えます。その海堡の基礎に使われたのが、この房州石です。

切通しを歩いて岩肌を見て、岬に移動して海堡を眺めると、同じ石を2つの形で見ることになります。

鋸山は日本遺産の「候補地域」です

富津市は鋸山を日本遺産の「候補地域」として紹介しています。認定されたわけではなく、候補という段階です。市のページにも認定時期の記載はありません。

市がまとめているストーリーは5つに分かれています。

テーマ年代
地球の恩恵 鋸山のなりたち約500万年前の地質形成
東国の霊山・鋸山725年の日本寺開創から中世の復興まで
名勝地鋸山の誕生江戸中期の石仏造営と、文人による名勝地化
発達する採石産業房州石の採掘と機械化(昭和33年/1958年にチェーンソー導入
房州石がつくりだす「石と芸術のまち」1985年の採石業終焉から現在まで

約500万年前から現在までを1本の話にしているのがこのストーリーです。

機械化の年代がはっきりしています。石を切る作業は昭和33年(1958年)にチェーンソーが入り、石を運ぶ車力の仕事は1960年頃に機械化されました。切るほうが先で、運ぶほうが2年ほど遅れています。

主な構成文化財として挙げられているものです。

  • 鋸山と羅漢石像群(千葉県指定名勝)
  • 鋸山石切場跡
  • 日本寺梵鐘(国指定重要文化財)
  • 浮世絵版画(歌川広重)
  • 内裏塚古墳群(国指定史跡)

歌川広重が鋸山を描いていることも構成文化財に入っています。石を切る前から名勝地として知られていた山だということです。

日本寺の開創は725年とされています。切通しの由来である弘法大師(774年〜835年)より前の年代です。

石を運んだのは「車力」と呼ばれた女性たちでした

富津市が書いている、石切の現場の話です。

役割内容
石を切る男性が行った
石を運ぶ「車力(しゃりき)」と呼ばれた女性が麓まで運んだ

運んだ量が記録されています。80キログラムの石を3本、1回で運び、1日に3往復。これを1960年頃に機械化されるまで続けていました。

1回で240キロ、1日で720キロを人が運んでいた計算になります。

採石はコンクリートが広まったことで1985年に終わりました。いまも石垣や倉庫が町のあちこちに残っています。

弘法大師が腰を休めたという口碑があります

この場所が「燈籠坂大師」と呼ばれるのは、弘法大師が行脚の途中でここに腰を休めたという口碑(こうひ)があるからです。

切通しトンネルは、燈籠坂大師堂へと続く参道です。観光地として整備された道ではなく、もともとお堂へ向かうための道だという点は覚えておいてください。

管理しているのは東善寺(富津市竹岡)で、ここはその飛地境内地にあたります。

駐車場の案内が、市のページにありません

ここは正直に書きます。富津市の燈籠坂大師の切通しトンネルのページには、駐車場の有無・台数の記載がありません。最寄り駅やインターチェンジからの所要時間も書かれていません(案内図の掲載のみ)。

写真で知られるようになった場所ですが、市が駐車場を案内していないのが現状です。参道であることを考えると、路上に停めるのは避けるべき場所です。

行く前に富津市役所 建設経済部 商工観光課(0439-80-1291)へ確認してください。

富津市が挙げる絶景15か所のひとつです

この切通しは、富津市が「絶景・パワースポット」として紹介している15か所に入っています。同じリストに鋸山も入っています。

15か所のうち、この記事に関係する場所です。

  • 燈籠坂大師の切通しトンネル(この記事)
  • 鋸山/鋸山ライトアップ——石切の技法の出どころ
  • 明治百年記念展望塔——海堡が見える
  • 中の島展望塔——明治〜大正の砲台跡に建つ
  • 東京湾観音/富津市から見る富士山/もみじロード/白山の大スギ/竹岡のヒカリモ発生地/竹岡のオハツキイチョウ/恋人の聖地 石のまち金谷/環の大樟/地蔵堂の滝(白糸の滝)/姥石

「竹岡のヒカリモ発生地」「竹岡のオハツキイチョウ」も同じ竹岡にあります。切通しと合わせて回れる位置関係です。

行く前に、この順番で確認します

  1. 駐車場を先に確認する。市のページに記載がありません。商工観光課(0439-80-1291)へ問い合わせてください
  2. 参道であることを忘れない。東善寺の飛地境内地で、燈籠坂大師堂へ続く道です
  3. 夏なら涼しさが目当てになります。市も「さわやかな涼風が吹き抜ける」としています
  4. 岬とセットで回ると石のつながりが見えます。切通しの岩肌と、展望塔から見える海堡は同じ房州石です
  5. 同じ竹岡にヒカリモとオハツキイチョウがあります

この記事で確認できなかったこと

  • 駐車場の有無と台数。富津市のページに記載がありません
  • アクセスの所要時間。最寄り駅やインターチェンジからの時間の記載がなく、案内図の掲載のみです
  • 見学できる時間帯。参道ですが、時間の制限があるかは確認できませんでした
  • 拝観料の有無。記載がありません
  • 掘られた正確な年代。市も「明治から大正と思われる頃」としています
  • 燈籠坂大師堂そのものの拝観。この記事では扱っていません
  • 切通しの岩が房州石そのものかどうか。市が書いているのは「鋸山の石切の技法を用いて切下げ工事を行った」ということで、岩石の種類には触れていません

内容は2026年9月1日時点で富津市が公表しているものです(切通しのページは2025年6月2日更新)。問い合わせは富津市役所 建設経済部 商工観光課(0439-80-1291)です。

出典

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