いささか旧聞とはなりましたが、令和4年にちはら台自治会連合会独立20周年行事として、域内の市道(一部遊歩道)に、域内小中学校6校の児童生徒に募集をして、愛称として6本の道の名前を付けるというプロジェクトを行いました。
ちょうどちはら台コミュニティセンターも開設20周年となることから、二つの組織が主体となって本プロジェクトを行いました。正式な名称では無いのですが、いつの間にかGoogle Mapにもこの名前が採用されております。
道路に子供たちが応募した名前って、そしてそれが世界中で見られる、Googleに取り上げられたって、本当に子供たちもワクワクしたことでしょうし、企画した我々も本当に大変でしたが、楽しい事業でした。
その経緯を少し詳しくお伝えし、決定した内容をお知らせ致します。この事業は令和4年3月20日の20周年記念式典に市長・市議会議長を招いて発表とともに、代表の子供たちを表彰し、記念品を授与しました。
なぜ道の名前?
さて、自治会20周年に何をするかという、自治会連合会の役員会で前年5月に諮問があり、10周年に際して、域内中央を横断するかずさの道に掛かる橋に名前を付けた、という実績から、じゃあ道に名前を付ければというはなしがでました。
当時域内の市道には正式に3つの名前が冠せられていました。公園通り、学園通りと、瓦窯通り。それに遊歩道の「かずさの道」。
次第に構想が膨らみます。道に名前があれば、防災・防犯にも場所の特定手段として、有益だよね。とか、自治会単位でやるより、域内の4つの小学校と、2つの中学校の児童生徒に付けてもらうってのは、どう?。たとえ自分が付けた名前でなくても、自分たちの付けた名前って、もともと新興住宅地で土地に歴史はあっても、居住者のふるさととしての歴史の無い、この街のふるさと化に寄与して、戻ってきたいと思うよね。等々・・・
実際に動き始めたプロジェクト
行政(市の道路維持課とか、警察とか)に確認すると、愛称としてなら特段に問題はなく、将来的に正式名称となる可能性もあるとのことで、名称の看板は街路灯への設置であればOK。警察には特段問題もなく、プロジェクトは自治会連合会と、コミュニティセンターの広報委員を中心にスタートしました。
まず小中学校に趣意書をもって説明に。大まかに各校の担当となる道路の候補も併せて説明。各校長・教頭は全面的に賛成。その中で西中の校長先生から、応募の道の性格が良く判らなく、漠然としているとのご指摘があり、各道の特徴を応募用紙に反映することとなりました。これは結構大変。もともとが昭和52年に開発がスタートした、新興住宅地。しかし調べていくと、縄文時代からの遺跡が開発の際に発掘されるなど、元々の歴史価値が十分な地域ではあります。近くで上総国分寺に使用された瓦を焼いたとか、ちょうど上総と下総との律令時代の国境であったとか。
道路ごとに街路樹が異なるとか。いろいろの個性が見えてきました。これらをまとめて各校宛に別々の応募用紙に説明をつけて、統一ポスターとともに、全校に配布したのが、1月の15日。2月中旬を締め切りとして、自治会連合会のホームページ、コミセン発行の広報などで、広報活動を行いました。
応募は100件以上、そして決定
3676枚の応募用紙配布に対し、応募総数は3割の1084件。
これを全て6人のプロジェクトメンバーが1名1校で取りまとめ、絞り込むという作業も大変でしたが、これは楽しい。子供たちの発想と故郷への思いが詰まっている、応募から最終的に各校5~7件程度に絞り込み、最終的には自治会連合会と、コミュニティセンターから3名づつの20周年記念委員会で採択されて、6つの名前が決定。
記念式典で表彰し、その式典を地域のちはら台チャンネルという媒体で放映し、そのDVDを各代表者に配布。
看板を作成し、街路灯に設置。ホームページ、広報で周知ということで、無事に終了し、翌年Google Map掲載にされているのに気づきました。
祭りは主催するのが大変だが、だからこそ楽しいと申した方がいますが、このプロジェクトの参加したからこそ本当に楽しいとつくづく感じた半年間でした。