ちはら台チャンネル
ちはら台自治会連合会では、地域内のケーブルテレビを利用して、ちはら台チャンネルというテレビ放送を配信しています。残念ながらちはら台地区で首都圏ケーブルメディア受信世帯しか視聴することはできませんが。
今回ちはら台地区にお住いのサッカーチームVONDS市原FCの伊澤監督にお願いして、取材を行うこととなりました。その内容と併せて市原市の市民チームである「VONDS市原」をご紹介致します。
VONDS市原FCとは
現在関東1分リーグに所属するサッカーの市原市民チームです。母体は八幡海岸通りにある、古川電気工業(㈱)千葉事業所の、関東リーグに属していたサッカー部でございます。
2011年3月に創立。古川電工といえば、現在J2にいるJEF千葉・市原の母体でもありますが、千葉事業所内にも関東では名門のクラブを持っていたんですね。
そのJEFが臨海競技場を出て、千葉に本拠地を移して幾星霜。やっと市原にも市民クラブとして、誕生したわけです。資本関係はございませんが、今回取材に応じて戴いた佐藤社長は、JEFとは良好な関係を維持しているとのことでした。
VONDSとは英語の「絆」を意味するBONDの頭文字をVictoryのVに替え複数形とした造語でございます。
本拠地は昔臨海競技場といって、Jリーグ開幕当時にJEFが本拠地としていた、ゼットエーオリプリスタスタジアムでございます。
まずは社長インタビューと、練習風景
今回は市原市喜多にございます、クラブハウスを併設したVONDSグリーンパークにて、佐藤社長、伊澤監督とキャプテン渡辺広大さんにインタビューをさせて戴き、TOPチームの練習風景を撮影させて戴きました。
このグリーンパークでも試合は行われるとのことで、天然芝、人工芝各1面ずつの緑も豊かなグラウンドでございました。
蒸し暑い雲の多い日で少し雨もぱらつく中で、広報担当の清野(せいの)さんにご案内戴き、練習風景を確認。渡辺キャプテンは彼女のことを「小さな巨人」と讃えておりましたが、小柄でも目いっぱいチームに貢献していると感じました。まずはクラブハウス前で、VONDSのエンブレムを前に佐藤社長にインタビュー。
1988年生まれのまだお若い社長で、平塚ご出身で自らも関東学院大学からSC相模原、VONDS市原と渡り歩き、2022年まで現役の選手でした。引退後昨年5月に社長に就任されました。実は今回インタビューさせて戴いたお三方、ほぼ同年という、お若さです。
内容はご自身の経歴や、関東リーグクラスの社長業の大変さなど。今年のVONDSの成績は関東1部リーグで負けなしの優勝で、JFLに上がるのは間違いないと、悲願のJリーグ到達のお祝いを申し上げました。
しばらく練習風景の撮影にお付き合い戴き、その後お仕事に戻られました。
トップチームの練習はコンビプレーなど。ゴールキーパーの練習は、1対1ということもあり、かなりのしごきでしたね。一人終わるとへたり込んでました。やっぱプロやね。
【監督とキャプテン】
練習が終わり、簡単なミーティングと、本日お誕生日の選手の紹介等を経て、選手は個人練習に、その後にやっと伊澤 篤 監督登場。まずはその自己紹介。京都のご出身で府向陽高校卒業後はなんとアルゼンチンのクラブチームである「ラシン・デ・コルドバ」に。アルゼンチンは、男はマッチョでサッカーは国技、そして旨い牛肉のイメージでしたか?の問いに、その通りでしたと、笑顔が素敵です。4年間の武者修行でした。サッカーに関わる熱さはアルゼンチン仕込みなんですね。
その後帰国してJFLの横河や2015年にJFLに昇格したならクラブやびわこを経て、最終的にはタイのランプーン・ウォリアーFCを最後に指導者の道に。現在はちはら台にお住まいです
JFL昇格は嬉しいが、更に上を目指さないとと。いつかJ1でジェフとの対戦があれば、嬉しいですね。
最後にこちらは1986年12月生まれとほぼ他のお二人と同年代で、市船ご出身のキャプテン渡辺広大さんです。おそらくコアなJリーグファンであればご存じの、市船時代からのスターでベガルタ仙台でJ2からJ1昇格時の守りのかなめです。仙台を去る2014年まで選手会長でもございました。その後モンテディオ山形に移籍して、右膝半月板損傷の怪我などで、2015年のシーズンは厳しいこととなりました。山口、群馬を経て2022年12月にVONDS市原に落ち着き、現在に至ります。相変わらず穏やかな風貌が少しお年を加えて、ナイスミドルの風貌となっています。インタビューの内容は、番組でご覧になれれば、何よりですが、市原市の最北にあたるちはら台の住民への、メッセージを戴きました。とお茶を濁しておきます。
これから
JFL昇進はほぼ間違いないと思いますが、まだ先にはJ3、J2そしてトップリーグのJ1が待ち構えています。JEFがJ2に落ちて何年でしょうか。純粋の市原の名前を背負ったチームが更に上を目指して行けるように、応援できればと思います。2011年に創立してもう13年、さすがに古河電工の匂いはなくなって久しいのですが、あの辺りで仕事をしていた身として、なんとなく近しさを感じています。監督もキャプテンも口をそろえていたのは、関東リーグ在籍でこれほど恵まれている環境は無く、若い選手がそれが当たり前だと思っているのが、怖いとのことでした。Jリーグが発足したときのチェアマンも、古川電工出身でしたが、Jリーグの概念として地元に密着したチーム作りということを、繰り返してらっしゃいました。ちはら台おゆみ野エリアの出身者も16番の中澤大翔選手や、22番の渡邊龍選手が在籍しています。
今後トップリーグで市原の名を冠した二つのチームが、優勝争いをするような展開を希望します。